あなたは、人生でどのようなことにストレスを感じますか?本記事では越境ECビジネスの専門家、越境EC認定支援機関、情報処理支援機関、越境EC著者である一条が人生における「一番のストレス」を考えてみました。
人生におけるストレス経験と副業・兼業解禁の時代にあなたの選択は
日々の生活の中で、正直、ストレスはあまり感じていませんが...
ストレスかかっている時ってあったかなぁと過去のストレス経験を振り返ってみました。
大学受験から胃痙攣
高校生3年生の時は、偏差値38から大学進学を決意し、受験勉強スタート!目標は早稲田大学 政経学部(最初は東京大学と言っていました)
自分の学力のなさ、やってもやっても上がらない偏差値にプレッシャー、焦り、不安でたまりませんでした。
毎日、オロナミンCを何本も飲み、寝不足をこらえていたら、鼻血が止まらなくなりました...
年明け頃には、胃痙攣をおこしました...
ストレス
運だけで、六大学の1校に滑り込みセーフ
三重苦の就職活動、学歴社会の壁
大学4年生の時
- 成績A3つ
- ゼミなし
- コネなし
- もちろん、カネなし
大学の就職窓口で、「三重苦じゃないか! 君は世間でいう一流企業への就職は無理だ」と言われました。
就職活動中、東京大学、早稲田大学、慶応大学、他大学でグループ分けられました。
書類審査でふるいにかけられ、面接までたどり着けない「見えない壁」に、猛然と学歴社会を感じました
ストレス
モチベがあがらない、だめんず作業者
なんとか、社会人になり、就職活動の面接の希望は反古にされ、全く希望しない職場と職種に
- 銀行の子会社だった
- 上司は全員うだつの上がらない出向者
- けれども給料は高いままキープされている
- 人生の勝ち組達
その職場に通勤すること自体がストレス
銀行系のため、08:00にはすでに職場にいなければならない
帰る時間もコントロールできない
割り当てられたつまらない、やりがいの一切ない仕事
IT系だったため、
「資格をとりなさい」と業務命令を受け、
モチベーションが上がらない中での資格勉強もちろん、不合格の連続
こんな状態なので、
当然、パフォーマンスは結果に現れ
同期の中でできないヤツという評価...
ストレスから「アトピー性皮膚炎」になり、新卒後、地獄の3年間でした。
そのため、「人生を変える」と、税理士、中小企業診断士を受験するも、やはり、頭が追いつかない現状でした。
配置換えのその先は、コンプレックスの塊
当時、勤めていた会社では「社内公募制」という人事制度があり、「このままいたら、人生やべーな」と思っていたので、応募しました。
1回目は書類選考で落ちました。
2回目は書類選考、面接で、希望を勝ち取ることができました。ただし、1年間限定という条件が付いていました。
配置変え後に、面接官だった部長、次長に聞く機会があり、なぜ希望がかなったか聞いた所、「2年連続で応募してくる人材はいないので、面白そうだから」と...ガッツが買われていました
希望通りの部署になったら、そこには、
- 海外MBA出身、国内国立大学院、留学経験ありなどの学歴が尖っていた環境
- 語学堪能
- 公認会計士、中小企業診断士は当たり前 転職してきたコンサルタント職の人たちの給料は高いなど
3流大学出身、英語ダメ、完全にコンプレックスの塊になりました。
「やる気」と「時間」でカバーするしかないと朝8時にオフィスの自席で勉強し、夜は22時位まで、週末も出勤していました。
とにかく、必死でした。
システムエンジニアの人事制度の枠内で、給料は安い状態で抑えられたままでした(残業代が凄かったです)。
将来の不安、お金の不安
そして、結婚、長女誕生、住宅の購入、次女誕生と人生のイベントがあり、「将来の不安」、「お金の不安」を猛烈に感じました。
29歳の時のコンサルタント職の人事制度に移行して、理論年収が1,000万円を超えました(あくまでも理論値であり、実際は貰えませんでした)。
景気がよかったので、受注が進み、同じ時期に、8個のプロジェクトで、働かされていました。
年に1回の契約更新時の面接時に、てっきり、1,000万円貰えると思っていたら、「君は、若手で、会社全体としてバランスが合わない」と月給1万円のベースアップ(つまり12万円アップ)だけでした。
そして、翌年、30歳の頃は、景気が悪くなり、プロジェクトの受注が入らずに、このまま行くと、夏のボーナス0円が見えました。
僕は当時の本部長に交渉をしました。
「子供が2名いる。住宅ローンもある。去年と言っていることが違うじゃないですか!」
「しょうがないやろ、会社の制度なんだから、自分の身は自分で守りなさい」
この時に転職を誓いました。
外資系企業でメンタル崩壊
運よく、外資系企業に転職することができましたが。ここで「人生を変える」と、一層のモーレツ社員になりました。
- 月曜日から金曜日までの出張生活
- 仕事のストレス(今ならパワハラです)
そして、同年代の中では、早い段階から管理職に昇進することができました。
花形部門である経営企画部への異動しました。
その結果、平日は深夜タクシーが当たり前、家族との自由な時間もままならない生活になりました。
体調を崩して5日間有給休暇を取得しました。
そして「リストラ」
そして、人物最大のストレスはやはり「リストラ」だ
- エリートサラリーマンとしての
- プライドはズタズタで
- 会社関係の人間関係は消えた
- 当時は自宅のローンも残っており、
- 子供二人はまだ小学生
- 家内は専業主婦
人生、生活、仕事、崖っぷちにいた不安、恐怖
副業を始めたきっかけについて詳細を知りたい方はリストラから副業を始めてサイドFIREしたプロフィールをご覧ください。
転職先での降格、給料ダウン
そこから、転職した訳だが、
次の会社では、プロジェクトの責任を取らされ、「業務改善計画」を書くようにと追い詰められました。
その後に転職した会社では、昔のプロジェクトの後輩が役員にいた(笑うしかなかった...)
そして、人事で降格、給料ダウン などもありました。その後、昇進、給料もアップしましたが、
振り返ってみたら、ストレスはだらけの人生だった(笑)
死ぬこと以外全てかすり傷、優先順位の変更
人生40台後半にもなると、「死ぬこと以外全てかすり傷」
リストラという最大のストレスで、僕の中での人生観、優先順位は変わった
サラリーマン時代の一条は
1 キャリアプラン
2 マネープラン
3 ライフプラン
モーレツに働いて、給料をあげて、贅沢する単純な思考だったのが
今では
1 ライフプラン
2 マネープラン
3 キャリアプランに変化した
どんな人生をおくりたいか?
そのために必要な資金はいくらですか?
そのために必要なキャリア、仕事、スキルは何か?
僕は、ストレスを人生の転機ととらえ、未来をコントロールしようと思う。
あなたも、あなたの年収倍増計画を考えてみてほしい。
そして、丁度、50歳の時に、以下のようなことを考えて転職した。
人生100年時代の50にして天命を知るから▼30%
詳細を知りたい方は人生100年時代の50にして天命を知るをご覧ください。
そして、スタートアップの会社で、人事制度改革が進み、ベース▼30%という紙を見た時に、退職を決断し、ニート生活が始まったのだ。
副業・兼業解禁の時代
副業・兼業タイプの5分類
副業・兼業解禁の時代は、今起きている時代の流れです。
いよいよ厚生労働省が2017年11月20日に「モデル就業規則」を提示したことから年度内に副業・兼業が公式に認められる見通しとなりました。
副業・兼業のタイプを5分類されている記事が興味深いです。
1.生活苦型
本業の給料では立ち行かないため、ダブルワークを行うタイプ
2.小遣い稼ぎ型
本業で生活に必要な収入は得られているが、
余暇や趣味に使うプラスアルファのおカネ、
あるいは資産形成などを目指して、自分のペースで行うタイプ
3.やりたいこと型
生きがい、やりがいといった、社会貢献や自己実現に重きを置くタイプ
例.話すことが好きだからセミナー講師など
4.本業スキルアップ型
本業のスキルアップを目指して行うタイプ
例。法律の知識があるので、知人の法律事務所の手伝いを手伝う
5.起業・転職準備型
将来は起業や転職を目指しているが、その準備段階
例.終業後や週末だけベンチャー企業の仕事を手伝って、
納得がいけばそのベンチャーに飛び込む事例など
この記事を読んで、一概に、副業・兼業と言ってもいろいろなタイプが挙げられるんだと思いました。
タイプはいろいろあったとしても、帰結する所は、1つなのではないのかなと思いました。
結局は『どういう人生を歩みたいのか』
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という解決手段だと思います。
ありたい将来があって(人生観)
やりたいことがあって(使命)
ゴールがあって(目的、目標)
そのために、必要な行動があって(行動)
それらを全部叶えるためには必要な資金が必要なので、頑張っていくのです。
まとめ
いかがでしたか?本記事では越境ECビジネスの専門家、越境EC認定支援機関、情報処理支援機関、越境EC著者である一条が人生における「一番のストレス」を考えてみました。ぜひ、参考にしてください。