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【eBay輸出】人生いくらでもやり直せる / Mr.イトウのビジネスを始めたきっかけ【イーベイ】

あなたはビジネスを始めたきっかけはありますか?本記事では、越境ECビジネス書籍の著者であり、輸出ビジネスのプロフェッショナルである一条が、輸出コミュニティでサポートして頂いている方のビジネスを始めたきっかけを共有させていただきます。

契約社員から正社員として、大手コールセンターで勤務

今振り返ると、副業ビジネスを考え始めた最初のキッカケは、20年ほど前に遡ります・・・。

28歳の時に、転職して契約社員から正社員になったのをきっかけに、結婚して、一部上場の企業の大阪支店に配属され、大阪に転勤しました。

一部上場の企業だけあり、これまでとは異なり、給与や福利厚生の条件も良く、家賃手当だけでも、給与とは別で、約10万円もいただけるような会社でした。
(入居の初期費用も笑)

直近の一年前に、契約社員としてですが、
同業界の業務(コールセンターのスーパーバイザー(SV))という役職を経験した上で、正社員転職でしたので、
業務の事で悩むなんて転職したときは一切考えていませんでした。

ですが、実際に勤務してみると、
前職のコールセンター数十倍の規模があり、
さらに受注先が通信大手、そして、業務手順もこれまでとは異なり、ルールや考え方も異なりました。

しかも、業務内容も通信大手のお客様のお支払いに関するコールセンターで、
常に一番ギスギスした内容のコールセンターの役割部署に配属されました。

しばらくは、大学生のバイトの子たち以下の対応スキル・・・。

しかし、立場的にはプロパーと言われる正社員の為、
知識や経験が不足してていても、
バイトの子たちの上に立ち、
場合によっては、彼らが対応しているお客様の怒りの頂点のタイミングで
上司の僕に電話を変わるという・・・。

いつかは慣れるだろうと日々自分的には頑張っていたのですが・・・。

仕事がなじめず、上司の慰留を振り切って、名古屋へ

想像以上に、業務になじめず、3か月経過する頃には、本気で毎日会社に行きたくなくてしょうがないという心理で日々過ごしていました。

ですが、
結果、どうしても毎日クレーム処理が仕事というのは、
僕には無理という事で、結婚したばかりの嫁に会社を辞めて、地元の名古屋に帰りたいと相談したところ、
嫁も大阪に馴染めず、実はすぐにでも帰りたいと・・・。

最終的に転勤して約半年で、上司の慰留を振り切ってその会社を退職し、名古屋に戻ることになりました。

仁科剛平さん「株で1億円作る」が人生を変える

その時に、
非常に良くしていただいた契約社員の同僚から最後にもらったプレゼントが、
忘れもしない、仁科剛平さん著書の「株で1億円作る」というようなタイトルの書籍でした。

当時は、
普段はマンガくらいしか読まなかったくらいで、本を読むという習慣もなく、
せっかくいただいたその本にも全く興味を持たず、引っ越し先に一緒に持って行っただけの状態で、本棚においてあるだけの状態でした。

そして、月日が経ち、地元でマンションを購入し、一方で、マンション買ったばかりなのに、嫁とも訳有って、

その購入したマンションに新しい会社の同僚(男)とちょっとしたシェア生活も行う中で、
ふと、大阪の同僚からいただいた「株で1億円」の本の存在を思い出し、読んでみたところ・・・

まさに、衝撃の、人生を変える(考え方を変える)?一冊の出会いとなりました。

まあ、内容を簡単に書くと、株のトレードを行って、自己資産1億円を築け!という内容でした。

当時は、マジか!!
本当に僕でもインターネットを使って、1億円という夢のような資産状態にたどり着ける可能性があるのか??という嬉しい衝撃でした。

正に、この時が自分自身の副業(そしていつかは専業独立)を意識したタイミングでした。

一度、興味を持つとすぐにそれ関連の本を買って読んだり、
インタ-ネットで調べたり・・・。

当時から、ハマった事を思い通りに成し遂げる為に、色々調べるは大好きでした。

調べるのは、お金は消費しないし、自分の時間くらいしか消費しないですからね・・・。

100万円で株式デイトレードに取り組む

やりたいことの実際は、投資なので、できるだけ負けたくないし、
正直、この時は書籍を読んで、本気で株式投資の基本を学べば勝てると、まあまあ信じていました。笑

満を持して、100万円程を用意して、当時の流行のデイトレードに取り組みました。

非常に凝り性の僕は、本当に日々真剣で、

毎日、下手したら、毎時間、チャートと言われる株価の推移の折れ線グラフのようなものを追いかけておりました。

そして、
日に日に書籍の数も増えていくのですが・・・。
どうしても勝てない、勝ち続けれない、資金が増えない、むしろ、減っている・・・というのが現実でした。

そこで休みの日に負ける理由を考えました。

株トレードは基本的に買うが基本アクション、
ただどうしても売りたい場面、銘柄もある・・・。

売るには、信用という枠が必要。

ただし、信用の枠は資金の三倍まで、そしてその日、信用枠で売ってしまうと基本的に、同じ日に買うことができない・・・。
そして何より、資金が少ないと、今にも上がりそうな一部上場の有名で大きな株が、資金が少ないので取り扱えない・・・。
この制限が僕の勝てない理由なのではないか・・・?

と、考え、またまた書籍や、インターネットの情報を読み漁った結果・・・。

FXで300万円を400万円に増やす

今度は無事にFXという為替取引にたどり着けました・・・。

FXは、レバレッジが大きい為、当時でレバレッジが100倍(株は基本1倍)、要は少ない資金でも参入ができ、売り(SELL)も自由にできる。さらに、買い(BUY)で入れば、基本スワップというお小遣いのようなお金が日々入ってくる。さらに、小型の株の仕手のように、容易に価格の操作ができないという規模で公平性が高い・・・しかも、市場はほぼ24時間開いていていつでも参加できる・・・笑。ではないかと・・・。
正に当時の僕にはFXは株式取引と比べ、良い事づくめでした。笑

FXと出会ってからは、またもや、書籍などを買い漁り、この頃には普通にインターネットで様々な、今でいう情報商材と出会い、ポツポツとそれらを購入しておりました。(勝つための必勝法のような)

そして、毎月給料日になると、FXの口座に資金を追加し、会社の仲間たちと一緒に、会社の終わりに夜20時過ぎくらいから、そのまま仕事場でトレードするのが日々の日課となっておりました。

そのころには、デイトレードではなく、スキャルピングと呼ばれる細かく何度も一日で稼ぐという手法にはまっておりました。

毎週、土日は、とにかくチャートの勉強、ついには、MT4という自動取引ツールの為のロジックを自分で考え、それをテストするために、プログラミングの本も買い、あと一歩で、プログラマーにでもなる勢いで、勉強してました。笑

ここまで、やっていると、周りの同僚から、僕に資金を預けても良いよという、話も出てきて、そしてとうとう一番の親友が僕に資金を300万預けるから、FXで増やしてほしいという話が・・・。

現在の僕なら、そんな話基本お断りするのですが・・・なぜかその時は、勝てる気がして、とりあえず、300万の内、50万を運用してみますか?的な軽いノリで資金を預かり、友人のお金を運用するという状況がスタートしました。

最初は、数ロットというこれまでと同等なレバレッジでトレードしていたのですが、段々と人の資金を使う事にも慣れてきて、気が大きくなり・・・。

ついには、ほぼフルレバレッジ100倍でのスキャルピングという恐ろしいスタイルのトレードになっていました。

この100倍のフルレバのスキャルピングの破壊力は恐ろしく、毎朝会社に行く前の1時間でトレードを繰り返すと、5千円の勝ちが数分、数秒で何度も繰り返され、これを毎朝、毎夜続けたところ、5日ほどで、300万の資金が一気に400万になりました。

その時は達成感と共に、僕自身も喜び勇んで、資金提供者の会社友人にその旨を報告し、さらにあと半年、1年あれば、数千万どころか、マジで1億も難しくはないという話をしていたのを思い出します・・・。

強制ロスカットで、証拠金7万円

そして、このテンションも一瞬で終わりがきました・・・。

あまりにトレードを頑張り過ぎたのも有りますが、毎日勝ち続けると、今度は負けたくないという心理が膨らみ、負けていても、いつかは自分の思った方向に戻ってくるので、しばらく放置、またはナンピンという悪魔の手法、それでも何とかなるというなんの根拠もない状況に陥り、そしてある日の深夜疲れと共に寝てしまいました・・・

そして、次の日の朝、早朝を目を覚まして、パソコンの画面を見てみると・・・

なんと、資金の残高が・・・

(たしか)25万円程になっておりました・・・。昨晩までは、400万以上の残金があったのに・・・。

何!!??何???なにこれ、25万て・・・どういう事?なんかの表示間違い??

何度確認しても、間違いが無い数字。そして落ち着いて昨晩のチャートを確認してみると、明らかに寝ている間に、自分の負けた方向に深夜に向かい、そして、今はそこから半分ほど戻している・・・

とにかく、僕のFXの口座の残高は25万程しか残っていない事には変わりはありませんでした・・・。

そうです、僕は寝ている間に、強制ロスカットという一番遭っては行けない事態になっていたのでした・・・。

そして、僕は放心状態のまま、なぜか会社にも行かずに、そのままトレードを行い・・・。

無意識に負けを繰り返して、さらに気づけば、とうとう残高は7万円・・・。

その日から、その資金提供者にその事実が言えないまま、おそらく約2週間ほど経過。

「とにかく死なないでください・・・」

放心状態の日々が続き、本業の仕事上でも小さなミスを連発し、正直、生きた心地がしない日々を過ごしていたと思われるある日、その資金提供者が何も言わなくなった僕を心配し、僕から資金の進捗を聞くべく、僕をコメダ珈琲に誘いました。

僕も、もうこの時は事実を告げるしかないと覚悟し、正直に彼に全て話し、ほぼ資金の全てを溶かしたと・・・泣いてひたすら彼にお詫びしました。
その資金は彼が独立するために3年間大事に貯めた、虎の子の3百万でした。それを僕が1か月で溶かしてしまったので・・・。(しかも寝ている間に・・・)

そして、さらに、その資金提供者の先輩上司(年齢は僕より4歳年下)が僕に言ったのは、一言だけでした・・・。

「とにかく死なないでください・・・」たった一言これだけでした。

8年かけて全て完済

その一言で何とか僕も我に返る事ができ、その後、彼に毎月5万円を返す。という約束をし、彼に毎月返し続けました。そうする事で、彼との友人関係をこれまでのように維持できました。
結果約8年かけて、利子を含めた約400万円を返済しました。

ちなみに、その資金提供してくれた彼は、その約二年後に当時の我々の会社を退職し、自分で株式会社を起こし、様々なビジネスをこなしながら、現在では僕の最大のビジネスパートナーであります(主にはAmazon中国輸入で食べていた方です)

インターネット物販との出会い

この彼への借金を完済するまでに約8年間の間に、僕自身は、投資副業ビジネスからは完全に足を洗い、そして間もなくして、ネット物販というネットを使った投資とは違うビジネスに出会いました。
ネットでの物販という新たなチャレンジに向かい始めたのが今から約10年前っていう時間の感覚でしょうか・・・。

それは、何気に行った東京旅行のついでの、浜松町辺りの大きなホールでのネットビジネスセミナーでした。

今思えば、そのセミナーのAmazonせどり物販、プライスターのツール考案者のせどりの会社、そして他にも、これからは、YouTubeが副業で稼げますというので、一緒にあなたもユーチューバーになろうという内容のセミナーが各ブースで展開されておりました。
この大きな会場でのセミナーを見て、当時はほんと、東京って所は進んでいやがるなと・・・笑。当時は思ったものです。

そういえば書いてて思い出しましたが、その後、そのセミナーで知った、千葉県のおじさんのせどりセミナーの為に、
千葉の船橋辺りまで一人出向き、駅前のイトーヨーカドーか何かで、スマホ片手に数名で価格リサーチ(象印の魔法瓶水筒等)をした事を思い出しました。
今思うと、ほんといざとなるとフットワークが軽いですね・・・。)
それほど、副業で50万稼いで、いつかは独立するという希望は捨てずに、コツコツとやってました。

なんか、一生懸命当時の自分を思い出しながら書いてたら、面白くなってきてしまい、ほんと自分史のような内容になっておりますが、今回はここまで「副業」との出会いと、その最初の約5年間を書いてみました。

次に続く

お次は、ネット物販(主にAmazonとEBAY)&YouTubeでの副業チャレンジ編を書いてみます。

そして第3回目に、副業を何でもやってみたの結果からの、専業ネット物販独立編を書いてみます。

ほんとここまでネット物販とは関係のない話ばかりが長々と続き大変申し訳ございませんです。でも、こうやって自分の歩みを振り返ってみると、なぜ自分は勝てないかが客観的に見えてくる事項もありました。

最後に、本日の深夜は、eBayのサブアカウント育成の為のオークション販売の終了日となっており、どうなるか、非常に楽しみです。

僕自身もですが、是非皆さんにも楽しんでeBay販売を継続していただけると、良い結果に到着できるのではと思っています。

では、またお会いしましょう!

【eBay輸出】副業から専業で月利120万円を達成した伊藤さんの深堀りリサーチとは?

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まとめ

いかがでしたか?本記事では、越境ECビジネス書籍の著者であり、輸出ビジネスのプロフェッショナルである一条が、輸出コミュニティでサポートして頂いている方のビジネスを始めたきっかけを共有させていただきます。