一般社団法人日本越境EC振興協会

あなたは一条ゆきおの小学校時代から大学時代までの経歴をご存じですか?本記事では越境ECビジネスの専門家、越境EC認定支援機関、情報処理支援機関、越境EC著者である一条が、小学生時代から社会人時代を振り返りたいと思います。

学生時代から社会人

小学生時代

担任の先生

3人の担任にお世話になったが、

振り返ると、3年間(1年生、3年生、4年生)お世話になった先生との思い出が思い出せない.....

5年生、6年生にお世話になった担任の先生はF(苗字)というのだが、

宿題を忘れるとFビームという必殺技(こめかみの髪の毛を引っ張る)をする

それを避けるために、勉強をし始めて、私立中学を受験するまでになった。

それまではというと。。。であった。

お店

小学生高学年になると、インベーダーゲームが自宅の店舗にやってきた。

店舗が小学生のたまり場になった。

放課後

放課後は友達と近所に公園に集まり、鬼ごっこに興じたが、近くの神社に賽銭箱を確認しにいったものだ

昔は駄菓子屋に瓶ジュースの瓶を回収すると10円くれたりするものだった。

そして、自宅が店舗だったこともあり当然のように回収して回った。

さらに、段ボールや新聞紙を回収し、近所にあるスクラップ業者に持っていくと、現金になることを学んだ

こうやって物は循環していくんだと、商売というものを学んだ

夏休み

夏休みは書き入れ時だ

田舎に遊びに行くと、カブトムシが大量に採れるポイントがあったのだが、

田舎のおじさんが教えてくれて虫かご一杯に、カブトムシを詰め込んだ。

自宅の店舗に並べると、近所に子供たちが1匹100円で買っていくのだ

昆虫が好きということではなかったが、とにかく、虫かご一杯に詰め込んだ

なぜだか分からないが、「現金」が好きだった。

見世物の刑

貯金箱に現金を入れて、ジャラジャラならすのが好きだった

現金が好きすぎて、自宅のレジから拝借もしたことがある。

結果、実父に、当然、見つかって、店舗から2Fにいく階段にロープ縛りつけられて、見世物にされた

「幸夫ちゃん、どうしたの?」(お客様)

「レジからくすねたんで、貼りつけにしています」(実父)

それで、癖はなんとか治ったようだ

衝撃的な出来事

小学校時代の一番、衝撃的な出来事は、税務署の人が来て、赤札を張り付けていたことだ

この時、はじめて、貧乏という言葉が頭をよぎった

確かに、我が家は、長兄、次兄、私、長女の4人兄弟で、

他の家庭とは違い、エンゲル係数は高かったと思う

中学生時代

中学生時代は剣道部に所属し、成績はよかった。

体育の授業中、ホーガン投げのホーガンが背中にあたり、血尿で入院するという大事故にあった。頭に当たらずに本当によかった。

中学生2年生の頃から、身長が小さかったので、悪ふざけされたことが多かった(徐々にエスカレーションしていったが、今、振り返るとイジメだと思う)

成績はよかったので、都立高校へ進学して欲しいと言われていた。二人の兄貴は私立の高校へ進学したためだ。

高校生時代

無事に新設の都立の進学校へ合格できた。

無事に高校デビュー!髪の毛を茶髪にして、煙草を吸い、バンド活動を行った。

そして、1年生の時に、手をつなぐことしかできなかったが、初めて、彼女ができた。その彼女とは、大学生になって再会して付き合った。

努力は人を裏切らない

部活は体操部に所属していた。団体行動は苦手だったからだ。筋肉は嘘をつかない。頑張れば頑張っただけ筋肉がついていく。

高校2年までは、大学は東京大学へ進学しようと考えていたが、結果的には、ビリから2番目まで成績は下がり、偏差値は38だった。なにせ進学校だったので、周りは頭が良かったのだ。

高校3年生になる直前から猛勉強を行うようになった。そのため、修学旅行は欠席した。

『ナポレオンは1日3時間しな睡眠を取らない』という話を信じて、自分も実践した。そして、眠気覚ましにオロナミンCを飲んでいたら、鼻血が止まらなくなった。

夏休みは1日10時間の勉強だ。朝9時から図書館か予備校へ行き、お昼は友達と話しながら食べて、20時まで勉強した。

猛勉強の結果、偏差値は68にまであがった

努力は人を裏切らない。

第一志望は『早稲田大学政経学部』、第二志望は『早稲田大学商学部』、滑り止めで『明治大学』、『法政大学』...

結果、『法政大学』だけ合格した...

「当然、浪人します!」と宣言をしていたが、両親に説得されて、仮面浪人になった。

大学生時代

最初の2か月くらいは、受験勉強もやっていたが、まあ、続くわけもなく、そのままキャンパスライフをエンジョイした。

インカレサークルを立ち上げ、マハラジャを借り切ってパーティーや旅行代理店と協業して旅行

時代が浮かれていたと思う。

海外への憧れから、大学3年生の時に、イギリスへ短期留学した。両親には感謝しかない。

いよいよ就職活動のシーズンになり、就職相談課に行った時に『ゼミなし、シングル(Aの数が10個以内)で厳しいぞ』と言われた。

私立文系が銀行、保険、メーカーに就職すると、営業に配属されると聞いていたので、当時、SI(システム・インテグレーション)やシンクタンクという言葉だけが踊ってみえて、営業にならないように、なんとなく、IT系に的を絞った。

まとめ

いかがでしたか?本記事では越境ECビジネスの専門家、越境EC認定支援機関、情報処理支援機関、越境EC著者である一条が、小学生時代から社会人時代を振り返りました。ぜひ、参考にしてください。